前回はふざけた感じの報告で唐突に終わってしまってすみません、まだ頭の中がぐちゃぐちゃしてたもので。
軽井沢で二度目の交通事故にあってしまった。
自転車にはいたる所に傷が付いているし、嫁が誕生日にくれたベルもちゃんと鳴らなくなってしまった、もちろん僕もそこそこケガをした。
不必要に詳しい状況は、相手もある事だし誰の迷惑になるかもわからないので伏せておく。
前回の記事に補足する形で少し説明すると、僕が渋滞していた自動車の列の左をすり抜けている時に、1台分空いた切れ間に出た所で対向車線側からの右折で店舗敷地に入ろうとした相手と接触する形になった。
直前にいた車の車高が高くてお互いが捕捉できなかったのも原因の一つだが、根本的には双方の不注意によるもの。
それでも「また乗りたい」とは思ってしまう
『もしもロードバイクで交通事故にあってしまったら?』みたいな情報性の高い事後処理ハウツー記事では全くないので、そういうのは期待しないで欲しい。
事故状況についてこれ以上詳しく書く気もないし、警察や相手、保険屋とのやりとりも同様。
でも、(まあ自転車に限らずなんだってそうなんだけど)何か大きな失敗を重ねてしまうと、そのもの自体を避けるべきなのではないかと考えてしまうのはよくある事だと思う。
仕事であれば職種を変えた方がいいんじゃないかとか、趣味であれば辞めた方がいいんじゃないかとか。
似たような境遇の方がもしいたら、今の僕がそうであるように、「似た境遇の人はどんなふうに考えるのだろう」という事が知りたいかもしれない。
個人的な頭の整理整頓のためにもそこんとこを書き出していくだけの内容なので、グチの延長みたいなものだと思ってくだされば概ね間違っていない。
二度こういう事があって、どちらも交通事故の中では運良く骨折や重篤なケガもなく済んで(二度事故にあう事自体が運が悪いとも言えるが)「次も大丈夫だろう」と楽観できる人は少ないと思う。
僕もまず考えたのは「次こそ死ぬんじゃないか」という事、その想像はとてもリアルだ。
次こそもっとスピードの出た車にぶつかって、当たり所が悪くて、最悪の結果になってしまう。
周囲の人達がみんな言う、「二回もやってたしね、次こそ危ないんじゃないかと思ってた」と。
うーん、怖い。
そんなイメージもあって、事故後数日は正直自分でもまた乗りたいのか乗りたくないのかわからなかった。
能動的に「乗ろう!」って意識はわかなかったけど、それは単に足のケガがまだ治っていなかったり自転車を修理に出したり、現実的に乗れる状況にないのがわかっているだけのような気もした。
とりあえず半端なままになっていた金精峠ライドのレビューを終わらせるつもりでブログを書いてみると、やっぱり楽しかった。
撮ってあった写真を見ながら「ここはキツかったな」とか「この時あの人が追い抜いていったな」とか「ここで見た景色こんなにキレイだったんだな」とか、あの日の事を追体験して落ち込んでいた心が少しだけ躍った。
もう危ないから自転車は辞めよう、何か別の趣味を見つければいいじゃないか、嫁と登山も始めたことだし、それだって上等じゃないの、ハマれば一生の趣味として申し分ない、とも当然何度かは考えた。
でもこの先もうずっと、ただの移動手段ではなく趣味としての自転車を、休日のまだ日の出前に起きて準備を始めて、まだ交通量の少ない幹線道路を過ぎて、峠を越えて、山を抜けて、初めて行く街を通って、家に帰ってくる、そんな一連の楽しみを手放す事を考えると、心底がっかりする。
死にたくないけど、がっかりしたまま生きたくもない。
呆れた事にそう思っているから困ってしまう。
だとして、そんな資格があるのか
まず1つ目の段階ははっきりした、この趣味を続けたい。
だとして、二度交通事故をやって、その度方々に迷惑や心配をかける羽目になった自分に我を通す資格があるんだろうか。
嫁、職場、知人、それから相手の方もだ。
二度ともケガが大したことないとわかってあえて遠方の両親には伝えなかったが、ある日いきなり「息子さんが自転車で事故にあって亡くなりました」なんて連絡が入った時の気持ちを想像しないわけでもない。
いや、別に誰もが何かの明確な資格を持ってやっているわけではないと言うことだってできるし、どんな趣味だってリスクがあって人に迷惑をかける余地はあるだろうとも言えるし、好きでやってる事なんだから本人が楽しんでやれるならそれが資格だよと言うこともできる。
資格なんてあるようでない、ないようである、それがいい大人が自分の裁量でやる趣味というものだろう。
この疑問に対する答えはどこにもなくて、誰も与えてくれなくて、結局自分が「何を選択するか」でしかない、それでしか着地できない。
逆に、だからこそ自転車で房総の海を見にいった時のような自由を感じる事ができたのだと思う。
関係あるようなないような事だけど。
今回二度目の事故にあって、さすがに僕の周りのみんなは呆れてるだろうと想像していた。
冷たい言葉の1つや2つも当然あるだろうと覚悟していた、自分の意思がどう以前に「もう辞めた方がいいんじゃないの」と突き放される事も考えていた。
しかしまあ、なんとみんな優しいことか、誰からもそんな事は言われなかった、みんな申し訳なくなるくらい心配してくれた。
「どうせ辞めないんでしょw」と笑った人は1人いたけどね。
趣味で自転車を始めてしばらく経ってから、何人かには「変わったね」と言われた、おそらくいい意味で。
「いい趣味見つけたね」「そういう趣味が持てて羨ましい」とも言われた。
本当にそう思う、すごくいいものだ、自転車って。
でも今にして思うと、それと同じくらい僕が単純にバカみたいに楽しそうにしてたからなのかもしれない。
「明日4時起きです、始発なんで」とヘラヘラしながら帰宅していくのが、本当に羨ましいほどの能天気野郎だなと見えていたという事なのかもしれない。
たぶん「二度も事故やったのにまだヘラヘラ自転車乗ってる反省のない奴」って目で見られるのが怖いのだろうと思う。
それを『資格』という結論のない概念に置き換えているだけで。
ただ今のところはまだ許されてはいるみたいだ、そう思うと少し楽になった。
本当にありがたい、人に恵まれている。
最後に聞いておかないといけない人
今後も続けるかどうかに関して、あくまでこれは自分で決めなくてはいけない事だと考えていた。
割と僕はそうだ、大事な選択ほど自分だけで心行くまで悩まないと気が済まない。
でも最後に、嫁にはちゃんと聞いておいた方がいいと思った。
「もう辞めてほしい」と思っているかどうか。
そう思っているならはっきりそう言う人だし、たぶん僕が聞かなくてもそのうち言ってくるだろうし、そう思っているなら辞めようと考えていた。
これは熱意の多寡がどうのという問題ではなくて、優先順位としてそれを差し置いてまでやるべき事ではない。
結果、彼女の言い分を要約するとこう。
・ 別に辞めてほしいとは思っていない
・ ただ乗り方は考えてほしい
・ 前回も今回も注意が足りていれば避けられる事故だったはず
・ あえてリスクを楽しんでいるような節があるのは前から気になっていた
・ この趣味自体はとても楽しそうにしているし、それは喜ばしいし、羨ましいとも思う
・ 続けるためにも今回の事はちゃんと反省してほしい
・ だからやっぱり乗り方だよね
まあ、ぐうの音も出ないくらい正論ですよね。
まだ足も痛いし、自転車もすぐには治らないし、保険屋に送る書類も書かなきゃいけない。
その間、じっくり「乗り方」を考えてみようかと思う。
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